能力不足の社員への対応は、経営者や人事担当者にとって非常に悩ましい問題です。
「成果が上がらない」「仕事の覚えが極端に遅い」「指示しても改善が見られない」といった状況が続くと、組織全体の士気や業績にも影響します。
しかし、日本の労働法では、能力不足を理由に社員を解雇することは簡単ではありません。解雇が有効と認められるには、法律上の厳格な要件を満たし、裁判でも正当性が立証できるだけの証拠や経緯が必要です。
本記事では、能力不足を理由とする解雇の法律上のルールや判断基準、企業が解雇前にとるべき対応、実際に解雇するときの手順、よくある質問までを弁護士がわかりやすく解説します。
目次
1. 普通解雇のルール
日本の法律では、社員を解雇する際の条件が厳格に定められています。これらを守らなければ、不当・違法な解雇として無効と判断される可能性があります。普通解雇における主なルールは、次のとおりです。
① 就業規則に解雇事由を定める
常時10人以上の社員を雇用している事業者は、就業規則を定めなければいけません。就業規則には「解雇の事由」を定める必要があります。
② 解雇権濫用法理に違反しない
労働契約法では、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇は解雇権の濫用として無効と定めています。就業規則の事由に該当しても、この基準を満たさなければ解雇は認められません。
③ 解雇禁止に該当しない
日本の法律では、特定の事情がある場合に解雇を禁止しています。たとえば、業務上のけがや病気で休業している期間およびその後30日間、産前産後の休業期間およびその後30日間は、原則として解雇が禁止されています。また、労働基準監督署などへの法令違反申告を理由とする解雇も禁止されています。
④ 解雇予告
原則として解雇の30日前までに予告するか、30日分以上の平均賃金(解雇予告手当)を支払うことが必要です。
これらの解雇は、原則としてできないことを理解しておく必要があります。

2. 能力不足による解雇はハードルが高い
日本の労働法制では、勤務態度の不良や業務遂行能力の不足を理由とする解雇のハードルは、非常に高く設定されています。労働契約法における「解雇権濫用法理」により、「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」の両方を満たさなければなりません。
裁判になった場合、社員側が解雇の有効性を争えば、企業が勝訴するのは容易ではありません。特に、解雇までの経緯や対応内容について十分な記録や証拠がない場合、解雇が無効と判断されるリスクは一気に高まります。
もっとも、中途採用で高い能力、経験を前提に好待遇で雇用されたにもかかわらず、当初期待された成果や能力を大きく欠く場合など、より解雇が認められやすいケースも存在します。ただし、その場合でも、企業が解雇を避けるための対応が一切必要なくなるわけでもありませんし、前提となる採用の経緯や実際の成果、能力の不足などについて、企業が十分立証する必要があります。
つまり、「能力不足だからすぐに解雇する」という短絡的な判断は、非常に危険です。日本の労働法では、解雇は最後の手段と位置づけられており、いきなりの解雇は原則として認められません。
3. 能力不足による解雇が認められるかどうかの判断基準
社員は、雇用契約に基づき、適正な労働を提供する義務を負っています。そのため、能力や適格性に著しく欠けている場合には、労働義務の債務不履行(契約内容どおりに働く義務を果たしていない状態)として解雇事由となり得ます。
もっとも、会社がいつでも自由に解雇できるわけではなく、日本の法律では解雇が厳しく制限されています。解雇手続を誤れば、不当・違法な解雇として損害賠償請求や地位確認請求を受けるおそれがあり、慎重な対応が不可欠です。
能力不足を理由に解雇する場合も、労働契約法における「解雇権濫用法理」に基づき、客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性のの両方を満たす必要があります。裁判所は、通常、雇用関係を維持できないほど重大で、かつ改善の見込みがない場合には、能力不足を理由とする解雇を有効と判断する傾向があります。
裁判例では、次のような条件を満たす場合には、解雇が有効になることがあります。
① 著しい成績不振
単に他の社員より成績が低いだけではなく、利益の減少、顧客との信頼関係の悪化、重大なミスの頻発など、会社に具体的な損害や悪影響を与えているかどうかが判断の基準となります。
② 客観的で公平な評価
能力不足による解雇の理由が、経営陣や上司の主観的な判断ではなく、客観的な数値や指標に基づき評価されていることが求められます。評価制度や目標設定が不合理でないことも重要です。
③ 適切な指導と改善機会を経ても改善がないこと
再三の注意指導や研修、他部署への配置転換、降格など、解雇回避のための措置を行っても能力不足が解消されない場合に、解雇が有効と判断されやすくなります。
これらはどれか一つを満たせばよいわけではなく、総合的に判断されます。たとえば、著しい成績不振があっても評価方法が不公平であれば無効となる可能性があります。また、改善機会を与えていなければ「解雇回避努力義務を尽くしていない」として無効となる可能性があります。
なお、裁判で解雇の有効性を立証するには、問題の内容や対応経緯を裏付ける記録や証拠が不可欠です。
4. 解雇前に企業がとるべき対応
能力や適格性に問題がある社員に対して、いきなり解雇を行うことは法律上非常にリスクが高く、原則としておすすめできません。
裁判で解雇の有効性を争われた場合、会社が「改善の機会を与え、解雇回避の努力を尽くした」と立証できるかが重要になります。そのため、次のような段階的な対応を取ることが望まれます。
4.1 評価と記録
まずは、社員の業務成果や勤務態度を客観的に評価し、問題点を明確にします。評価は上司の感覚ではなく、数値や具体的事実に基づくことが重要です。
具体的には「いつ・誰が・どのような評価や指摘をしたのか」「どのような反応や改善があったか」を記録に残します。評価シート、面談記録、メールのやり取りなどは、後に解雇の正当性を示す証拠となります。
4.2 指導・教育・改善機会の提供
問題が確認された場合は、改善のための指導や教育を行い、具体的な改善目標と期限を設定します。研修やOJT、業務マニュアルの提供など、能力向上を支援する施策も有効です。
この段階では、単に口頭で注意するだけでなく、指導内容や改善計画を文書化し、本人にも共有しておくことが大切です。こうした記録は、裁判で「十分な改善機会を与えた」と説明する根拠になります。
4.3 配置転換の検討・実行
指導や教育でも改善が見られない場合は、適性を考慮して別部署や別業務への配置転換を検討します。営業職で成果が出ない社員を事務職に異動させるなど、職務内容を変えることで能力が発揮されるケースもあります。
ただし、配置転換は就業規則や雇用契約で認められた人事権の範囲内で行う必要があります。また、社員の生活環境や健康状態に著しい不利益を与える異動や、嫌がらせ・退職強要を目的とした異動は、人事権の濫用として無効と判断される可能性があります。
4.4 懲戒処分の検討・実行
能力不足が、職務怠慢や明確な業務命令違反といった懲戒事由にも該当する場合には、懲戒処分を検討することもあります。
ただし、一般的に能力不足は普通解雇の事由として扱われるため、懲戒処分とは区別して慎重に判断する必要があります。
4.5 退職勧奨の検討・実行
配置転換や懲戒処分を経ても改善が見られない場合は、退職勧奨を検討します。退職勧奨とは、社員に退職を提案し、合意のうえで退職してもらう方法です。解雇とは異なり、本人の同意を前提とするため、トラブルを比較的抑えやすい手段です。
ただし、相当な範囲を超えた長時間・繰り返しの退職要求や脅迫的な言動は違法な退職強要となり、損害賠償請求を受ける可能性があります。あくまでも本人が自主的に退職を選択できる環境を保つことが必要です。

5. 解雇すると決めた場合の対応
能力不足による解雇は、事前の改善機会付与や配置転換などの措置を経ても改善が見られない場合の最終手段です。実行にあたっては、手続の誤りや書面不備があると、解雇が無効になるだけでなく、不当・違法な解雇による損害賠償請求を受けるおそれもあります。
ここでは、解雇を決断した後に企業が取るべき具体的な対応を解説します。
5.1 解雇する前に弁護士へ相談する
解雇を検討する段階で、まずは弁護士に相談することをおすすめします。能力不足を理由とする解雇は、法的な有効性の判断や必要な手続の見極めが難しく、進め方を誤ると不当・違法な解雇として争われるおそれがあります。
弁護士であれば、問題行動や成績不良の内容、指導や改善の履歴、就業規則や雇用契約との整合性、過去の処分との均衡などを踏まえて、解雇の可否やリスクを事前に評価できます。
また、必要な証拠の収集方法や手続の適正な進め方だけでなく、退職勧奨や配置転換など解雇以外の選択肢も提示してもらえるため、会社にとって最も安全で有効な対応策を選択することが可能になります。
5.2 解雇予告通知書を交付する
普通解雇を行う場合、原則として30日前までに解雇予告を行うことが法律で義務付けられています。もし30日未満で解雇する場合は、不足する日数分の平均賃金を「解雇予告手当」として支払わなければなりません。
その際に交付する解雇予告通知書には、社員の氏名、会社名・代表者名、作成日、解雇日、確定的な解雇の意思表示、解雇理由、該当する就業規則の条文などを記載するのが一般的です。
特に「解雇理由」の書き方は事案によって適切な内容や具体度が異なり、記載方法によっては後の紛争で会社側に不利に働く可能性があります。曖昧すぎても詳細すぎても問題となるため、作成前に労働問題に詳しい弁護士に相談し、個別事情に即した理由の整理と記載方法を確認することが重要です。
5.3 請求があった場合には解雇理由証明書を交付する
解雇予告を受けた社員から請求があった場合、会社は労働基準法の規定に基づき、遅滞なく「解雇理由証明書」を交付しなければなりません。
解雇理由証明書は、社員が解雇の理由を正確に把握し、その記録を残すための重要な法律文書であり、後の紛争や裁判でも証拠として用いられます。
また、該当する就業規則の条文だけでなく、その条文に当てはまる具体的な事実を明記することが必要です。後から新たな理由を追加することは困難になる可能性があるため、注意が必要です。
解雇理由証明書の記載内容が不適切だと会社に不利な証拠となるおそれがあります。作成の際には労働問題に詳しい弁護士へ相談し、事案に即した正確かつ適切な表現で作成することが重要です。
5.4 労働審判や訴訟に備える
能力不足による解雇は、労働者がその有効性を争う可能性が高いため、解雇通知後も紛争への備えが必要です。具体的には、事案に応じて次のような準備を行います。
- 指導記録、評価資料、配置転換や研修の履歴などの証拠整理
- 解雇理由や経緯を時系列でまとめた社内報告書の作成
- 社内担当者や上司への証言準備
これらを事前に整えておくことで、労働審判や訴訟での対応がスムーズになり、会社の主張の信用性も高まります。
6. よくあるご質問
ここでは、企業からよく寄せられる「能力不足を理由とする解雇」や、解雇手続全般に関する質問にお答えします。
6.1 解雇予告手当30日分を支払えば解雇は有効ですか?
解雇予告手当を支払うことで、普通解雇が有効になるわけではありません。
解雇予告手当は、即日解雇の際に解雇予告期間の代わりとして支払うものであり、解雇理由の正当性までは担保しません。解雇予告手当を払ったとしても、客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上相当と認められる場合でなければ、普通解雇は無効・違法と判断される可能性があります。
6.2 試用期間中です。能力不足の解雇は有効ですか?
試用期間中であっても、能力不足だけを理由に自由に解雇できるわけではありません。
本採用後よりは認められやすいとされますが、客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上相当であることが必要です。また、改善のための指導や教育を十分に行ったか、配置転換の余地があったかといった点も考慮されます。
6.3 能力不足の解雇は自己都合と会社都合のいずれになりますか?
企業側からの解雇になるので、原則として会社都合退職に該当します。
雇用保険上、解雇を受けた社員は通常「特定受給資格者」として扱われ、自己都合退職より有利な条件で失業給付を受けられる可能性があります。ただし、会社側にとっては助成金の利用制限がかかる場合があるため注意が必要です。
6.4 解雇が違法・無効になるとどうなりますか?
解雇が無効と判断されると、法律上は解雇されていなかったことになり、社員は職場復帰する権利を持ちます。
また、復職時までの給与をさかのぼって支払う義務(バックペイ:解雇期間中の未払い賃金)が生じるほか、経営面や職場環境への影響も大きいため、解雇を検討する際は十分な法的確認が欠かせません。
7. まとめ:能力不足の社員対応は弁護士に相談
能力不足を理由とする解雇は、法的ハードルが高く、手続や理由の示し方を誤ると無効とされるリスクが非常に大きい処分です。解雇を検討する場合は、いきなり通告するのではなく、改善指導や配置転換など他の方法も含めて慎重に検討することが重要です。
特に、解雇予告通知書や解雇理由証明書の記載方法は、後の紛争で会社の立場を大きく左右します。記載の仕方によっては、不必要に会社の責任を広げてしまったり、解雇理由の正当性が否定されるおそれもあります。
そのため、能力不足の社員対応は、早い段階から労働問題に詳しい弁護士に相談しましょう。事案に即した解決策や適切な手続の進め方について助言を受けることが、トラブル防止と企業防衛のために重要です。









