1. はじめに:残業代込みの給与体系は危険

「残業代込みの条件で採用したのに、労働者から残業代請求を受けた!」

このようなご相談をいただくことが多くございます。

実は、このような「残業代込み」の給与体系には様々なリスクがあり、会社が敗訴しているケースも沢山あります。

では、次の事例で検討してみましょう。

  1. 基本給34万円で、残業代込みという条件で採用した。
  2. 雇用契約書には、「基本給34万円(残業代込み)」との記載があった。
  3. 月の平均所定労働時間は170時間であった。
  4. 1月当たり平均で40時間の時間外労働をしていた(深夜残業・休日勤務はなし)。

会社としては当然、「基本給34万円」に残業代が含まれていると主張したいところです。しかし、この前提事実のみだと、ほぼ100%会社が負けてしまいます。

この事案で労働者から残業代請求を受けた場合、1ヶ月当たり10万円が未払残業代として認められる可能性が高いです。

基本給34万円÷170時間(月所定平均労働時間)×1.25×40時間=10万円

現状の残業代の時効は3年間であるため、3年以上継続勤務している労働者から残業代請求を受けた場合、その請求額は10万円×36ヶ月=360万円となります。

会社は二重のダメージを受けてしまう

ここで注意すべきなのは、残業代込みの雇用契約の事案で会社が負けてしまうと、会社が「二重のダメージを受けてしまう」ことです。

具体的には次の2つのダメージです。

  1. 残業代が一切払われていないこととなるダメージ
  2. (残業代込みで)高めに設定した基本給をベースに、残業代の基礎単価が計算されてしまうダメージ

1. 残業代が一切払われていないこととなるダメージ

「基本給34万円(残業代込み)」という事案で会社が負けると、「(残業代込み)」という部分は事実上記載がない扱いになります。

そのため、残業代が全て未払いとして残業代を計算しますので、未払残業代が多額になってしまいます。

2. (残業代込みで)高めに設定した基本給をベースに、残業代の基礎単価が計算されてしまうダメージ

「基本給34万円(残業代込み)」という事案で会社が負けると、「(残業代込み)」という部分は事実上記載がない扱いになります。基本給34万円として残業代を計算することになってしまいます。

本来は基本給が25~30万円という前提だったにもかかわらず、基本給が34万円という前提に変わってしまうのです。

そして、基本給が34万円に上がれば、1時間当たりの残業代も高くなってしまうのです。

残業代込みの雇用契約にはリスクが高い

残業代込みの雇用契約には様々なリスクがあります。

そのため、残業代込みの雇用契約のリスクを十分に把握し、制度変更を検討すべき点は検討しましょう。

この記事では、残業代込みの給与体系を導入している企業様に向けて、残業代込みの給与体系の裁判所でのルール、トラブルになった場合のポイント、トラブルを予防する方法などを解説します。

残業代込みの給与体系はルールが複雑です。悩んだら、まずは人事労務の問題に詳しい専門家へのご相談をおすすめします。

2. 前提:現在の裁判所の考え

前提として、現在の裁判所の考えを解説します。 裁判所も「残業代込みの給与体系」が許されないとか、一律に会社が敗訴するとか、そのような考えは持っておりません。 ただし、本来は「実労働時間に応じて残業代を計算・支給する」のが大原則です。

そのため、「残業代込みの給与体系」が有効となるためには、複数の要件を満たす必要があると考えられています。

具体的には、①労働者・会社間の合意があり、②基本給と残業代の支給額が明確に分かれていることが必要と考えられています。また、少し異なる要素として、③想定されている残業時間が長すぎないかが検討されることもあります。

① 労働者・会社間の合意があること

大前提として「残業代込みで給与を支給する」ことにつき、労働者と会社との間で合意が存在することが必要です。

大前提ではありますが、一番の落とし穴でもあります。

たとえば、入社時に雇用契約書や労働条件通知書を交付していなかった場合、それだけで、合意の成立自体が否定されるケースも多いです。

合意は口頭でも成立しますが、争いになった時点で、雇用契約時の「合意」を証明することは非常に困難です。

そのため、雇用契約書・労働条件通知書が存在しないケースでは、それだけで会社が負けてしまう可能性が非常に高いです。

② 基本給と残業代の支給額が明確に分かれていること(明確区分性)

労働者・会社間で合意があるだけではなく、「基本給は〇円、残業代は〇円」というように、それぞれの支給額が明確に分かれていることが必要です。

たとえば、「基本給34万円(残業代込み)」という事例では、雇用契約書に「34万円」という記載はありますが、残業代がいくらかは判然としません。このような定め方・支給方法ではダメということです。

医療法人社団康心会事件(最高裁判所平成29年7月7日判決)

②基本給と残業代の支給額が明確に分かれていること(明確区分性)が争いになった事例として、医療法人社団康心会事件をご紹介します。

事案の概要

医師が病院に対し、残業代請求をした事案です。

病院は「1700万円の年俸に割増賃金(残業代)が含まれていた」と主張しました。

しかし、裁判所は①年俸に割増賃金を含むとの合意は認められるものの、②割増賃金の金額や内訳が明示されておらず明確区分性がないとして、割増賃金は一切払われていないと判断しました。

裁判所の判断部分

※上告人=医師 被上告人=病院

  • 「割増賃金をあらかじめ基本給等に含める方法で支払う場合においては~労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要」である。
  • 「前記事実関係等によれば~時間外労働等に対する割増賃金を年俸1700万円に含める旨の本件合意がされていたものの、このうち時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかった。
  • 「そうすると、本件合意によっては、上告人(医師)に支払われた賃金のうち時間外労働等に対する割増賃金として支払われた金額を確定することすらできないのであり、上告人に支払われた年俸について、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない。
  • 「したがって、被上告人の上告人に対する年俸の支払により、上告人の時間外労働及び深夜労働に対する割増賃金が支払われたということはできない。」

③ 想定されている残業時間が長すぎないこと

①労働者・会社間の合意があること、②基本給と残業代の支給額が明確に分かれていること(明確区分性)という要件とは全く別の目線で、「想定されている残業時間が長すぎる」と、それだけで会社が負けることがあります。

少しわかりにくいので、次の事例をみてみましょう。

  1. 総支給34万円で、残業代込みという条件で採用した。
  2. 雇用契約書には、「総支給額34万円(基本給18万7000円、残業分15万3000円)」との記載があった。
  3. 月の平均所定労働時間は170時間であった。
  4. 1月当たり平均で40時間の時間外労働をしていた(深夜残業・休日勤務はなし)。

総支給34万円、残業代込みという条件は労働者も同意しているため、①の労働者・会社間の合意の要件は一応クリアできます。

また、雇用契約書に「総支給額34万円(基本給18万7000円、残業分15万3000円)」と、基本給と残業部分が明確に分かれて記載されているため、②の明確区分性の要件もクリアできる可能性が高いです。

ただし、「残業分15万3000円」という金額が、大きなネックとなります。

15万3000円は、「約111時間の残業代」に相当する金額です。

  • 18万7000円(基本給)÷170時間(月平均所定労働時間)=1100円(時給単価)
  • 15万3000円÷(1100円×1.25)=111.3時間

現在の労働基準法では、労働時間の上限規制が設けられています。通常の企業であれば、月平均80時間を超えて残業させることはできませんし、1ヶ月で100時間以上残業させることはできません。

「111時間の残業代」は、この労働基準法の上限規制に真っ向から反する条件設定となります。 「違法な長時間労働を想定した条件設定をしている」ことが理由で会社が敗訴している裁判例もあるため、注意が必要です。

イクヌーザ事件(東京高等裁判所平成30年10月4日判決)

③想定されている残業時間が長すぎることが争いとなった事例として、イクヌーザ事件をご紹介します。

事案の概要

アクセサリー等の企画・販売等を営んでいる会社の残業代請求事件です。

会社は、毎月支給している8万8000円~10万円弱(80時間程度の残業代に相当)の固定残業代が、有効な割増賃金の支払いであると主張しました。

しかし、裁判所は、このような長時間労働を前提とした固定残業代は、労働者の健康を損なう危険のあるものであり、公序良俗に反し無効と判断しました。                       

裁判所の判断部分
  • 「本件固定残業代の定めは、基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることを内容とするものである。」
  • 「厚生労働省は、業務上の疾病として取り扱う脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」として、「発症前1か月におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できることを示している。」
  • 「このことに鑑みれば、1か月当たり80時間程度の時間外労働が継続することは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる恐れがあるものというべきであり、このような長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定して、基本給のうちの一定額をその対価として定めることは、労働者の健康を損なう危険のあるものであって、大きな問題があるといわざるを得ない。」
  • 「そうすると、実際には、長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情が認められる場合はさておき、通常は、基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることは、公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当である。」

実際の残業時間と見込み残業時間の乖離が大きいと危険

では、雇用契約書の記載がしっかりしていれば問題はないのでしょうか?

実際には、雇用契約書の記載以外にも注意すべき点があります。特に、実際の残業時間と契約書に記載した見込み残業時間に乖離は要注意です。 たとえば、先ほど挙げた次の事例でみてみましょう。

  1. 総支給34万円で、残業代込みという条件で採用した。
  2. 雇用契約書には、「総支給額34万円(基本給18万7000円、残業分15万3000円)」との記載があった。
  3. 月の平均所定労働時間は170時間であった。
  4. 1月当たり平均で40時間の時間外労働をしていた(深夜残業・休日勤務はなし)。

1月当たり平均で40時間の時間外労働をしていたということは、実際には40時間しか残業をしていないのに、毎月約111時間相当の残業代(15万3000円)を払っていたということになります。

このように、実際の残業時間(40時間)と見込み残業時間(111時間)との乖離が大きい場合、次の要件が否定されてしまう可能性があります。

  • ① 労働者・会社間の合意があること
  • ② 基本給と残業代の支給額が明確に分かれていること(明確区分性)

熊本総合運輸事件(最高裁判所令和5年3月10日判決)

実際の残業時間と見込み残業時間の乖離が争いとなった事例として、熊本総合運輸事件をご紹介します。

事案の概要

トラック運転手の残業代請求事件です。

論点は多岐にわたりますが、裁判所は、実際の勤務状況(平均約80時間)と固定残業代として想定している労働時間(約180時間)との大幅な乖離も理由に、会社が支払っていた固定残業代は、有効な割増賃金の支払いに当たらないと判断しました。                            

裁判所の判断部分

※上告人=労働者

  • 「上告人については、上記19か月間を通じ、1か月当たりの時間外労働等は平均80時間弱であるところ~、本件割増賃金が時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、実際の勤務状況に照らして想定し難い程度の長時間の時間外労働等を見込んだ過大な割増賃金が支払われる賃金体系が導入されたこととなる。」

3. 会社が注意すべきポイント

残業代込みの給与体系が有効となるには様々な注意点があります。これまで裁判所の考えを見てきましたが、会社が注意すべきポイントは次のとおりです。

① 労働者・会社間の合意があること

  • 「残業代を含めて給与を支給すること」を記載した書面(雇用契約書・労働条件通知書など)を入社時に必ず交付すること

② 基本給と残業代の支給額が明確に分かれていること(明確区分性)

  • 雇用契約書などで、基本給の額と残業代の額を明確に分けて記載すること。例として「総支給額〇円(※基本給〇円、時間外労働〇時間分の割増賃金〇円)」
  • 雇用契約書と、給与明細の支給金額・項目が一致していること

③ 想定されている残業時間が長すぎないこと

  • 支給金額から導かれる見込み残業時間が80時間を超えると、それだけで無効とされるリスクがあること(現行の労基法の規制を踏まえると、45時間を超える見込み残業時間を設定することは、それだけで一定のリスクがあること)
  • 実際の残業時間と見込み残業時間との乖離を可能な限り少なくすること(乖離が大きいと、①の合意の要件や、②の明確区分性の要件が否定されるリスクがあること)

4. 労働者から残業代請求を受けた場合の対処法

労働者に対して残業代の支払いをしていることを主張

残業代込みの給与体系を採用している会社が残業代請求を受けた場合、有効な残業代の支払いがあることを主張しましょう。ポイントは次の3つです。

  • ① 労働者・会社間の合意があること
  • ② 基本給と残業代の支給額が明確に分かれていること(明確区分性)
  • ③ 想定されている残業時間が長すぎないこと

給与体系の全般的な見直しを検討

個別の労働者との残業代をめぐるトラブルが解決しても、会社の給与体系などに問題があれば、同じような請求が今後も続く可能性があります。

そのため、給与体系の見直しなどが必要です。

残業代込みの給与体系には様々な落とし穴があります。

①労働者の合意や②明確区分性に気を付けて、しっかりした雇用契約書を作成しても、実労働時間と見込み残業時間との乖離が大きくなれば、それだけで有効性が否定される可能性も出てきます。

そのため、残業代込みの給与体系は積極的にはおすすめできません。給与体系の全般的な見直しを検討した方がよいケースも多いです。

5. おわりに:トラブル解決と社内ルールの見直しが重要

残業代込みの給与体系には様々なリスクがあります。トラブルが発生したら、まずは自社の給与体系が各要件を満たしているかを確認しましょう。

場合によっては、雇用契約書などの書式の見直しや、給与体系全般の改訂も検討しましょう。

監修者:弁護士 村岡つばさ

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