「優秀な営業社員が退職し、自社の顧客を大量に引き抜いて独立してしまった」
このような「顧客の引抜き」は、中小企業にとって死活問題です。売上が激減するだけでなく、長年かけて築いてきた顧客との信頼関係や、社外秘のノウハウまで流出してしまいます。
従業員による顧客の引抜きは、常に違法となるわけではありませんが、「競業避止義務」に違反する可能性があります。競業避止義務とは、従業員の在職中や退職後に、会社と競合する行為をしてはならない、という従業員が負う義務のことです。
この記事では、従業員の顧客引抜き問題について、競業避止義務の基本的なルールから、トラブルを防ぐための予防策、そして実際に問題が起きてしまった場合の対応策まで、弁護士がわかりやすく解説します。
目次
1. 従業員の独立・顧客引抜問題とは
従業員の独立・顧客引抜問題とは、退職した従業員が、在職中に得た知識やノウハウ、顧客との関係性を利用して、会社の顧客を奪ってしまうトラブルのことです。
これにより会社は、売上の減少だけでなく、営業秘密の漏洩や企業競争力の低下という深刻なダメージを受けます。

2. よくあるトラブルのパターン
従業員による顧客引抜や競業行為は、従業員が会社に在籍している間に起こるケースと、退職後に起こるケースに大別されます。
2.1 在職中の顧客引抜・競業のケース
在職中の従業員が、会社に許可なく、会社のノウハウや顧客情報などを利用して、会社と競合する事業を行うケースが典型です。また、退職後の独立や転職を見越して、水面下で準備を進めるケースもあります。
たとえば、副業として、会社に許可なく、会社の顧客に競合する取引を持ち掛ける行為や、会社の顧客情報を持ち出し、退職後に営業をかける準備をしたり、在職中にもかかわらず「もうすぐ独立するので、その際は取引よろしくお願いします」といった形で顧客に内々にアプローチしたりする行為です。
このような行為は、会社に対する忠実義務(信義則上の義務)に反するものであり、後述するように、競業避止義務違反や秘密保持義務違反となる可能性が高いです。
2.2 退職後の独立・顧客持出しのケース
最も典型的なパターンが、従業員が退職した後に、競合する会社を設立したり、同業他社へ転職したりして、かつての勤務先の顧客に営業活動を行うケースです。
たとえば、在職中に担当していた顧客に連絡を取り、在職中に得た取引情報などに基づき、取引を切り替えるよう働きかけることがこれに該当します。
退職後の行為であるため、直ちに違法となるわけではありません。しかし、会社との間で有効な「競業避止義務」が存在する場合には、その義務に違反するとして問題になる可能性があります。
3. 法律上押さえておくべき基本ルール
従業員の競業行為を規律する「競業避止義務」は、在職中と退職後でその内容や根拠が大きく異なります。
3.1 在職中の競業禁止義務
従業員は、会社との労働契約に基づき、在職中は会社の利益に著しく反するような競業行為を差し控える義務を負っています。これは会社に雇われて賃金を得ている以上、ある意味当然の話です。
これは「信義則上の義務」と呼ばれ、就業規則や雇用契約書に「競業禁止」の明確な条項がなくても、発生する義務と解されています。
したがって、従業員が在職中に会社の許可なく競合する事業を行ったり、競合他社のために働いたりする行為は、通常この義務に違反します。
違反した場合、会社は懲戒処分を行ったり、発生した損害の賠償を請求したりすることが可能です。
3.2 退職後の競業禁止義務
一方、従業員が会社を退職した後は状況が異なります。日本の憲法では「職業選択の自由」が保障されているため、当然に競業避止義務を負うわけではありません。特に最近は転職も盛んになっているため、過度な競業避止義務は、従業員の生活への重大な制約となり得るものです。
退職後の従業員に競業避止義務を課すためには、就業規則や雇用契約書、入社時や退職時に交わす個別の誓約書などによって、その旨を定めた特別な合意が必要です。
しかし、たとえ合意があったとしても、その内容が従業員の職業選択の自由を不当に制約するような「合理的な範囲を超えた」ものである場合、その合意は公序良俗に反して無効と判断されることもあります。
なお、例外的ではありますが、このような合意がなくとも、公序良俗に反したり、社会通念上の自由競争の範囲を逸脱した違法な態様で行われた競業行為について、例外的に不法行為として責任追及が可能な場合もあります。
また、不正競争防止法など、他の法令の違反がある場合、合意がなくとも責任追及が可能な場合があります。これらの検討も忘れずに行う必要があります。
3.2.1 有効要件
裁判所は以下の要素を総合的に考慮して「退職後の競業避止義務に関する合意が合理的で有効か否か」を判断します。
① 守るべき企業の利益
企業に、競業を禁止してまで守るべき正当な利益(例:営業秘密、高度なノウハウ、独自の顧客情報など)があるかを検討します。
② 従業員の地位
従業員の地位や職務、アクセスできる情報などから、守るべき利益に関して競業避止義務を課すほどの必要性が認められるかを検討します。
③ 地域的範囲
競業が禁止される地理的範囲が、必要最小限に限定されているかを検討します。
④ 制限期間
義務を課す期間が、不当に長すぎないかを検討します。
⑤ 禁止される行為の範囲
禁止される競業行為の範囲が具体的かつ明確に限定されているか、守るべき利益とのバランスを欠いていないかを検討します。
⑥ 代償措置の有無
競業を禁止する見返りとして、従業員に十分な金銭的補償(待遇や特別手当、退職金の上乗せなど)が存在しているかを検討します。
これらの要素を総合的に見て、競業避止義務が「企業側の利益を守るために必要最小限度の制約であり、従業員に過度な不利益を課すものではない」と認められた場合に有効と判断されます。
3.2.2 競業避止義務が有効になった裁判例
競業避止義務契約の有効性は、個別の事案ごとに具体的に判断されます。過去の裁判例から、有効・無効の判断が分かれるポイントを見ていきましょう。
保護すべき利益が明確で、期間や範囲が合理的とされたケース(トーレラザールコミュニケーションズ事件)
執行役員であった従業員に対し、退職後2年間の競業避止義務を定めた事案です。
裁判所は、①競業避止義務を課した目的が、会社の専門医等との人的関係の維持という合理的なものだったこと、②禁止される業務が5つの業務に限定されていること、③期間が2年間と比較的短いこと、④執行役員として相当額の給与を得ていたこと(代償措置)などを総合的に評価し、競業避止義務を有効と判断しました。(東京地方裁判所平成16年9月22日決定)
ノウハウの独自性・有用性が高く、長期の禁止が認められたケース
ヴォイストレーニング教室の講師が退職の際に誓約書を提出したものの、退職後に同種の教室を開業したケースです。
講師は退職時に、秘密保持と退職後3年間の競業避止を約束する誓約書を会社に提出していました。しかし、退職後すぐに同種のヴォイストレーニング教室を開校し、誓約書に違反しました。
裁判所は、誓約書に記載の競業避止義務はヴォイストレーニングの指導方法・指導内容、集客方法、生徒管理体制といったノウハウを保護するためにあり、その目的が正当であると認定しました。
これらのノウハウは会社代表者が長期間かけて確立したもので、独自性が高く有用性も高いと認められました。そのため、退職後3年間という比較的長期の競業禁止期間についても、目的達成のために必要かつ合理的な制限として、誓約書の内容は有効と判断されました。(東京地方裁判所平成22年10月27日判決)
従業員の背信性が考慮されたケース(新大阪貿易事件)
営業課長・営業部長として13年間勤務してきた従業員が退職後、同業他社を自ら設立したケースです。
この従業員は、入社時に退職後3年間の競業避止特約を結んでいましたが、退職後に次のような背信性の高い行為を行いました。
① 在職中に管理していた顧客情報を会社に引き継がなかった
② 自己以外の従業員3名のうち2名を引き抜いた
③ 会社が新会社の営業を承諾しているかのような虚偽の案内を得意先に送付し、在庫商品を新会社のために無断で搬出した
その結果、元の会社は大口の得意先を奪われ、月商が10分の1に落ち込む深刻な打撃を受けました。
裁判所は、事業の性質上重要な顧客情報の利用に関し、得意先を奪うといった競業行為を、会社への影響が最も大きい退職直後の3年間に期間を限定して禁止することは不合理ではないと判断しました。(大阪地方裁判所平成3年10月15日判決)
3.2.3 競業避止義務が無効になった裁判例
一方で、従業員の職業選択の自由を過度に制約すると判断された場合には、無効とされたり、その効力が制限されたりします。
地理的な制限や期間制限が厳しすぎるとされたケース
人材派遣業を営む会社の営業マネージメントに関与していた従業員が退職した際、競業避止義務の有効性が争われたケースです。
誓約書では、退職後6か月間は場所的制限なく競業を禁止し、さらに2年間は在職中の勤務地または「何らかの形で関係した顧客その他会社の取引先が所在する都道府県」における競業および役務提供を禁止していました。
この従業員は在職中に九州および関東地区の営業マネージメントに関与していたため、誓約書に従えば、退職後2年間にわたり九州地方および関東地方全域において、会社と同種の業務を営むことも、同業他社に対する役務提供もできないことになります。
裁判所は、このような制限について「職業選択の自由の制約の程度は極めて強い」と判断しました。さらに、競業避止義務の対価として認められるのが月額3000円の守秘義務手当のみであったことも指摘し、誓約書に定められた競業避止義務の有効性を否定しました。(大阪地方裁判所平成24年3月15日判決)
期間が限定的に解釈されたケース(アフラック事件)
生命保険会社の執行役員が退職後、競合他社に就職することが予定されていたケースです。
執行役員契約書では、契約終了後2年間、会社の業務と競業または類似する業務を行う他社の役員や従業員にならないこと、および第三者をして競業または類似する業務を行う他社を支援してはならないことが定められていました。
この執行役員は、会社の様々な営業上の秘密を把握しており、商品のマーケティング戦略を立て、企業系列の大規模な保険代理店などに働きかける立場にありました。裁判所は、この執行役員が保有する会社の営業上の秘密や保険代理店との高いレベルでの人的関係を利用した場合、競合他社が会社に対して優位な地位に立つことができ、会社の営業上の利益を侵害される具体的なおそれがあると判断しました。
競業避止条項に対する代償措置として、執行役員として5年間勤務したことによる退職金として3000万円を超える金額が支払われており、裁判所は不利益に対して相当な代償措置が講じられていると認定しました。
しかし、裁判所は執行役員契約書で定められた2年間という競業禁止期間を1年間に限定して解釈しました。その上で、競合他社の取締役、執行役、執行役員の地位への就任、営業部門の業務への従事について、1年間の差止めを認めました。
高額な代償措置が講じられている場合でも、競業禁止期間は必要最小限に制限される可能性があります。(東京地方裁判所平成22年9月30日決定)
4. 会社がとるべき対応ステップ
顧客の引抜きトラブルを未然に防ぎ、万が一発生した場合に適切に対応するためには、段階的な準備と対応が重要です。
4.1 予防策(就業規則・誓約書の整備)
効果的な予防策は、従業員との間で競業避止義務に関する明確な合意を形成しておくことです。具体的には、次の2点を整備することが推奨されます。
① 就業規則への規定
就業規則に、在職中および退職後の競業避止義務について基本的なルールを定めます。
これにより、競業禁止の法的根拠を備えることができ、また全従業員に対して会社の基本方針を周知する一定の効果もあります。
② 個別の誓約書の締結
入社時や退職時に、秘密保持義務や競業避止義務を盛り込んだ誓約書を取り交わします。
誓約書には、前述の有効要件(期間、地域、行為の範囲、代償措置など)を考慮した、合理的で具体的な内容を記載することが重要です。退職時には誓約書を拒否されることもあるため、入社時にも取得しておくことが重要です。
また、法的な対策ではありませんが、日ごろから顧客との信頼関係を構築することが非常に重要です。
顧客との関係が特定の従業員に依存していない場合、従業員が顧客を奪取しにくくなりますし、万が一従業員が不穏な動きをした場合でも、顧客が会社にそのことを教えてくれることがあります。
4.2 引抜行為発見時の対応
元従業員による顧客引抜の疑いが生じた場合、まずは冷静に事実確認を行いましょう。通常は、いきなり元従業員へ事実確認をするのではなく、まずは在職中の元従業員の動きや、取引先に関する情報などを確認し、できる限り客観的な証拠を集めることが重要です。
また、自社の競業避止義務の根拠となる書類の有無・有効性の確認も必要です。この段階から弁護士が関与することで、より効果的な証拠を集めることができます。
証拠がある程度固まったら、弁護士に相談のうえ、内容証明郵便などで元従業員に対して警告書を送付して競業行為の中止を求めることが考えられます。
在職中の行為であれば、懲戒処分や退職金の減額の可否の検討も必要です。就業規則などの内容の検討が必要になりますので、この点についても、弁護士にアドバイスを求めたほうが良いでしょう。
4.3 実際の法的手続きと選択肢
警告を無視して競業行為が続く場合、会社は、競業避止義務に基づく法的な対抗措置を検討することになります。主な選択肢は次の通りです。
① 差止請求
競業行為そのものをやめさせるための請求です。裁判所に仮処分を申し立て、迅速な差止めを求めることもあります。
② 損害賠償請求
競業行為によって会社が被った損害の賠償を求める請求です。もっとも、競業行為によって具体的にいくらの損害が発生しているのかを基本的に会社側が証明しなければいけません。
ただし、これらの法的措置をとるには、競業避止義務が有効であることや、相手の違反行為、そしてそれによって生じた損害を会社側が立証する必要があります。
5. よくある疑問と回答
ここでは、従業員の競業避止義務と顧客引抜について、よくいただく質問にご回答します。
5.1 元社員が「顧客側が自発的に付いて行っただけ」と主張したら?
顧客側が自発的に取引先を変更したと主張する場合、競業避止義務違反を追及することは実務上容易ではありません。
競業に関するトラブルの場面では、顧客が自社ではなく、競業行為を行った元従業員側の味方になっているケースも珍しくないため、このような主張を覆すハードルは高い場合が多いです。
たとえば、在職中に得た情報を不当に利用して積極的な顧客奪取を行うメールが残っているなど、単なる退職のあいさつを超えた不当な勧誘行為があったと証明できる場合は、競業避止義務違反となる可能性もあります。
5.2 契約書がなく曖昧な就業規則しかない場合、退職後の競業避止義務違反を主張できるか?
退職後の競業避止義務を主張するためには、原則として明確な合意(特約)が必要です。
では、在職中の競業避止義務違反を主張すればよいかというと、それも容易ではありません。通常発覚するのは退職後であることが多く、実際には在職中から行われていたとしても、その証拠を得ることが難しいからです。
したがって、個別の誓約書や契約書がなく、就業規則の規定も曖昧な場合、退職後の元従業員に対して競業避止義務違反を追及することは通常困難です。
裁判所も、退職後の義務については明確な法的根拠を要求する傾向にあります。だからこそ、事前の対策として、内容の明確な誓約書等を整備しておくことが重要です。
なお、競業行為の態様によっては、他の法的根拠による責任追及の余地も残されています。すぐにあきらめずに弁護士に相談することをおすすめします。
5.3 競業避止義務契約は何年なら有効?
期間について明確な基準はなく、結局のところ、期間の妥当性は、業種の特徴や、他の要素(地域の限定、代償措置の有無など)とのバランスで総合的に判断されます。
平成24年ころの少し古い資料ですが、経済産業省の「競業避止義務契約の有効性について」という資料では、裁判例の分析として、以下のような記載があります。
- ① 1年以内の期間については肯定的に捉えられている例が多い。
- ② 近年は、2年の競業避止義務期間について否定的に捉えている判例が見られる。
近時の裁判例なども踏まえると、半年から1年程度が一つの目安といえます。もっとも、その目安も絶対的なものではなく、今後より転職が活発化すれば、より短くなっていく可能性があります。
現に近時の裁判例は、上記資料が作成された頃よりも、期間についてよりシビアに考えている印象を受けます。

6. まとめ:顧客引抜でお困りの企業様は弁護士へ相談
従業員による顧客の引抜きは、会社の根幹を揺るがしかねない重大な問題です。これを防ぐためには、まず「退職後の競業避止義務」について、有効な要件を満たした誓約書や就業規則を整備しておくことが重要です。
万が一トラブルが発生してしまった場合、法的措置には専門的な判断が求められます。競業避止義務契約の有効性の判断や、具体的な対抗策の検討など、自社だけで対応するのは困難な場合が少なくありません。
従業員の独立や顧客の引抜きに関してお悩みの経営者様、人事労務担当者様は、問題が深刻化する前に、ぜひ一度、企業法務に強い弁護士にご相談ください。
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