1. はじめに
運送業における長時間労働・未払残業代の問題は極めて深刻です。
平素より、会社側の労働事件を多く扱っておりますが、残業代請求事件の大半は、運送業の事件という印象を受けます。慢性的な長時間労働が背景にあることもあり、請求額が1000万円を超えることや、複数の労働者より同時に請求を受け、経営が回らなくなってしまうケースも残念ながらございます。
今回は、運送業の残業代対策と、最近ご相談いただくことの多い「完全歩合給制」についてお話します。
2. 国際自動車事件判決について
昨年3月30日に、「国際自動車事件」の最高裁判決が出され、タクシー、トラック業界など、運送業(及びこれらの業種を扱っている士業)に大きな衝撃を与えました。
つい先日、「運転手198名に対し約4億円を支払う旨の和解が成立した」との報道もあり、会社の経済的負担は計り知れないものです。
判旨を損なわない程度にざっくりと説明しますと、大手タクシー会社が、別途支給される基本給に加え、一定の基準により算定された歩合の「額」から、残業手当等を差し引いて、残りの金額を歩合「給」として支給していたところ、会社が支払っていた残業手当は、有効な割増賃金の支払とは認められない、と判断された事案です。実際の賃金の定め方はもっと複雑ですが、解説の便宜上省略しています。
この賃金の仕組みの特徴としては、「どれだけ残業をしたとしても、支給総額は(基本的には)変わらない」という点です。支給される残業代が多ければその分歩合給が減るというように、歩合給と残業代が連動するような仕組みとなっていました。
裁判所は、このような仕組みは、本来歩合給として支給することを予定していた賃金を、時間外労働等がある場合につき、その一部につき、名目のみを割増金(残業代)に置き換えて支払うものであるため、結局、歩合給と残業代が混在している(明確に区分されていない)=有効な割増賃金の支払とは認められない、と判断しました。
残業代を手当として支払う場合、その支払が有効であるためには、対価性(残業代の趣旨で支払われているか)、明確区分性(他の賃金項目と明確に分かれているか)といった要件を満たす必要がありますが、このうち後者を満たさない、と判断されたわけです。なお、毎月一定の決まった額を定額残業代・固定残業代として支払う場合においても、同様の要件が必要となります。
3. 同事件の影響
上記はタクシー会社の事案ですが、他の多くの運送会社(トラック業界を含む)においてもこのような賃金制度が取られていました。
そのため、この事件の影響は非常に大きく、賃金制度の見直し等の対応が必要となっているのが現状です。
特に、賃金債権の時効が、昨年4月1日より3年間に延び(これまでは2年間)、いずれ5年間に延びることが既定事項となっている中で、企業として適切に労務管理を行い、適切に賃金を支払うことは、今後の企業の存続のためにも非常に重要です。
もっとも、賃金制度の見直しは、今日明日で簡単にできるものではなく、非常に大きな労力を伴います。そのため、対応が必要なことは認識しているものの、実際には手つかずの状態になっている会社が多いのが実情ではあります。
4. 歩合給に関する私見
具体的な仕組みは千差万別ですが、多くの運送会社においては、ドライバーのモチベーションアップ、生産性の向上等の観点から、歩合的な要素が加味されています。
これ自体は何ら悪いことではなく、むしろ運送業界の実態にも合致しており、有用と考えています。
ただし、国際自動車事件のように、歩合給と残業代が混在してしまうような仕組みは、有効な残業代の支払と判断されないリスクが高く、見直しが必要でしょう。
また、計算した歩合給を残業代として支払う(例:賃金規程上「歩合手当は時間外労働・深夜労働・休日労働に対する割増賃金の支払として支払う」等と定めているケース))ような仕組みも、この事件の流れを受けて有効性が否定される可能性があり、注意が必要です。
結局は、「歩合は歩合、残業代は残業代」という発想が重要と考えています。国際自動車事件においても、「なぜ歩合給から残業代を差し引きできるのか」という素朴な疑問がクリアできなかったのではないでしょうか。
5. 完全歩合給制は許されるか
(1)はじめに
国際自動車事件を受け、運送業の残業代対策として、「完全歩合給制」が徐々に注目されています。
基本給・手当は設定せずに、売上等に応じた歩合給のみを支給するという方法です(フルコミッション等とも言われます)。
前提として、完全歩合給制という仕組み自体は違法ではありません。ただし、売上が0円の場合には給与も0円、というのは当然許されておらず、売上額に関わらず支払われる、一定の「保障給」を設定する必要があります。また、実際に支給される賃金が最低賃金を下回ってはいけません。
(2)歩合給の残業代の計算方法
ドライバーのモチベーションアップ、生産性向上等に加え、残業代の金額を相当程度圧縮できる、というのも(完全)歩合給制の大きなメリットです。
歩合給(法律上は「出来高払制」と呼ばれます)の残業代と、通常の残業代(基本給、諸手当をベースに算定される残業代)とでは、計算方法が大きく異なります。
①通常の残業代の計算方法
例えば、基本給25万円、無事故手当5万円を毎月支給している会社(月の所定労働時間は便宜上150時間)が、60時間、時間外労働をさせた場合には、下記計算式の通り、15万円を割増賃金として支払う必要があります。
別途歩合給を支給している場合には、この歩合給に対する割増賃金も支払う必要があります(計算方法は異なります)。
30万円(基礎賃金)÷150時間(所定労働時間)×60時間(時間外労働時間)×1.25(割増率)=15万円
②歩合給の残業代の計算方法
他方、30万円をすべて歩合給として支給した場合(月の所定労働時間は同じく150時間)、同じく60時間の時間外労働があった場合でも、会社が支払わなければならない割増賃金の額は、下記計算式の通り、2万1435円となります。
赤文字となっている部分が①との違いですが、これほど大きな金額の差が生じます。
30万円(基礎賃金)÷210時間(その月の総労働時間)×60時間(時間外労働時間)×0.25(割増率)=2万1435円
(3)完全歩合給制を導入する際の注意点
完全歩合給制を導入する際の注意点は多岐に亘ります。前提として、給与体系を大きく変更することになる以上、労働者への配慮(代償措置・経過措置等)は必須です。
不利益変更の側面があるため、労働者への配慮+個別の同意が原則として必要になりますし、導入に当たり、十分な説明を行うことは不可欠です。
また、どのような歩合のルールを設定するのかという点も極めて重要です。コース毎、荷主毎に売上も拘束時間も大きく異なる以上、純粋に売り上げのみをベースに歩合を算定すると、労働者間で不公平な結果になることも想定されます(配車の仕方によって大きく賃金が異なる結果を招きかねません)。
さらに、「真に完全歩合給なのか」が厳しく判断された結果、裁判上で完全歩合給制が否定される(=支給していた賃金が基本給と扱われてしまう)という事案も、今後出てくるのではないかと思います。
歩合の係数や制度が明確になっていない、雇用契約書、給与明細、賃金規程等の整合性が取れていない、保障給の金額が高すぎる、といったケースでは、歩合給制自体が否定される可能性もあると考えています。
6. おわりに
以上、少し長くなりましたが、運送業の残業代対策の1つとして、完全歩合給制に関するお話をさせていただきました。
この部分は、裁判例も多く存在しておらず、また運用自体も固まっていない部分もあるため、あくまで一弁護士の意見として、ご参考いただけますと幸いです。
賃金制度の見直しを含め、お困りの運送業様は、お気軽にご相談ください。
※上記記事は、本記事作成時点における法律・裁判例等に基づくものとなります。また、本記事の作成者の私見等を多分に含むものであり、内容の正確性を必ずしも保証するものではありませんので、ご了承ください。